子ぐまを撃たなかったルーズベルト大統領
セオドア・ルーズベルト大統領は、1902年秋、
趣味で熊狩りに出かけたのですが、
獲物を仕留めることができませんでした。
そこで、同行していたハンターが、
一匹の傷を負った子グマを追い詰め、
最後の一発を大統領に頼んだところ、
大統領は、
「瀕死の熊を撃つのはスポーツマン精神に反する」
と、言って撃たなかったのでした。
このことが、同行していた、
新聞記者のクリフォード・ベリーマンによって、
記事にされると、「ワシントン・ポスト」紙に挿絵入りで、
掲載されたのでした。
(ちなみに、この挿絵のベアは、
「ベリーマンベア」と呼ばれています。)
テディベアの誕生~ひらめきから大ブレイク~
ロシア移民のモリス・ミットム(Morris・Michtom)は、
ニューヨークで、文房具店を経営していたのですが、
この話にインスピレーションを得ると、
彼の妻、ローズにくまのぬいぐるみを手作りさせ、
大統領のニックネームである、
「テディ」と名付けて、
店先で売り出したのだそうです。
(大統領の許可は取ってあったそうです)
すると、ミットムのアイデアは見事に当たり、
大統領の人気とあいまって、テディベアは大ヒット!
「アイデアル社」の誕生
その後、ミットム夫妻は、卸売業者バトラー兄弟に、
ベアの在庫のすべてを売り渡し、
ぬいぐるみメーカーの信用取引の保証を取得すると、
1903年、
「アイデアル・ノヴェルティー・アンド・トイ・カンパニー」
(Ideal Novelty & Toy Company)を、
設立するまでに。
会社はベアの成功で、1907年には、
広い建物に移り、
翌年の1908年には、
アメリカの業界誌「プレイシングス」に、
「全米最大のベアメーカー」と、
最初の広告を載せたのでした。
その後
1938年に、モリス・ミットムは亡くなりましたが、
第二次世界大戦後、彼の息子、ベンジャミンに受け継がれ、
新しいデザインや素材、永久的な商標を導入。
社名も「アイデアルおもちゃ会社」(Ideal Toy Corporation)と、
変更しています。
しかし、高い業績を誇っていた「アイデアル社」も、
1980年代になると、廃業に追い込まれ、
CBS社に買収された後、生産中止となったのでした。
残念ながら、現在「アイデアル社」は、
もう、ありませんが、
モリス・ミットムのひらめきから、
テディベアが誕生したことに驚きました!
また、アメリカンドリームを見事に叶えられ、
テディベアは、モリスに富と幸運をもたらしたのですね。