チャドヴァレー社は、1915年から、
テディベアの生産をし始め、

1938年には、英国王室御用達ブランド(royal warrant)
の称号を受けた、由緒ある老舗メーカーになりますが、

次第に経営が悪化し、
1988年に倒産しています。

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印刷工場からテディベアメーカーへ

「チャドヴァレー」は、もともと、
バーミンガムで19世紀始めに、

アンソニー・バンジョンソンによって、
設立された印刷工場でした。

その後、息子のジョセフと、
孫のアルフレッドに経営を委ねると、

「チャド」と呼ばれる川の谷にある、
ハーボーンの郊外に会社を移転。

その名にちなみ、「チャドヴァレー」と、
名付けられます。

一躍巨大企業へ

「チャドヴァレー」は、第一次世界大戦前に、
ぬいぐるみの製造を拡大し、
テディベアを量産し始めたのですが、

第一次世界大戦後、1920年代から1930年代にかけて、
「アイザック」社や「ピーコック」社を傘下に入れ、
急速に拡大していきます。

この頃、様々な実験を試み、
数多くの種類のテディベアの売り込みに、
成功するのですが、

第二次世界大戦が始まると、
おもちゃの製造から撤退。

戦争のための、
木製の楽器ケース、対航空機の銃のケース、
病院のベッド、電気コイルとスターターなどが、
作られたのでした。

頂点から終焉へ

1945年に戦争が終わると、
おもちゃの製造を再開。

しかし、テディベアではなく、
鋳型のおもちゃを製造し始めると、
1960年までに、7つの工場を運営、
1000人を雇用するほどの成功を収めたのでした。

そんな栄華を極めた「チャドヴァレー」も、
次第に経営が悪化。

1970年代には、いくつかの工場が閉鎖、人員が削減され、
1975年には工場が2つしか残っていなかったそうです。

その後、1988年に、
ついに破産してまい、
「Woolworths」社に買収されたのでした。

ベアの特徴

1920年代の「チャドヴァレー」のテディベアは、
コルクチップの詰め物や、
ワイヤのジョイントが使われるなど、
実験的な作品が多いようです。

その後、詰め物に「パンヤ」が、
使われるようになり、

1923年から1926年のベアは、
「エアロライン」のマークが入ったボタンをつけています。

これは、パンヤの軽やかさを表す、
商標だといわれています。

そして、1930年代初頭には、
14種類のベアを製造。

詰め物は、「ハードタイプ」と、
「ソフトタイプ」の両方が作られたのですが、

1930年代末には、
パンヤしか使われなくなりました。

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特徴のある鼻

また、同時期、
それまで、横にステッチされた長方形の鼻や、
縦にステッチされた三角形の鼻だったのが、
密にステッチされた楕円形の鼻に変わりました。

これが、「チャドヴァレーの鼻」と言われるほど、
チャドヴァレー社のベアの特徴となったのです。

密にステッチされた楕円形の鼻

横にステッチされた長方形の鼻を持つ、
「マグナシリーズ」のベア