テディガール

「テディガール」は1904年、
ドイツのシュタイフ社で作られた、
シナモン色のモヘヤがとても美しいテディベアです。

今回は、「テディガール」と、
持ち主だった、ボブ・ヘンダーソン大佐について、
ご紹介しましょう。

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最も愛したテディベア

ボブ・ヘンダーソン大佐は、イギリススコットランド出身の、
テディベアコレクターで、600体ものテディベアを、
所有されていたのですが、

中でも、「テディガール」は、
大佐の最も愛したテディベアだったそうです。

「テディガール」は元々は、大佐の5歳年上の兄チャールズが、
誕生日に、両親からプレゼントされたベアで、

1904年に大佐が生まれた年には、
すでに、ヘンダーソン家の一員として暮らしていたのです。

大佐が5歳頃のこと、
あまりにも「テディガール」を気に入った様子だったので、
お兄さんが譲ってくれたのだとか。

それ以来、大佐は、
「テディガール」を片時も離さず、
どこへ行くにも連れて歩き、
それは、大人になってからも
変わりませんでした。

1944年には、
モントゴメリー第21軍集団の一員として、
「ノルマンディー上陸作戦」に参加されたのですが、

なんと、その時も、
テディガールを連れて行ったのだとか!

それほど、大佐は、テディガールを、
心の支えにしていたのでしょうね。

大佐とテディガール

娘との絆

大佐は1939年に結婚され、
1942年、一人娘のシンシアが誕生しています。

大佐は、軍人という職業柄か、
非常に真面目で固い性格だったうえ、

家を開けることが多く、幼いシンシアは、
なかなか打ち解けてくれなかったそうです。

しかし、「テディガール」が、
そんな二人の溝を埋めるべく、
一役買ってくれたのです。

というのも、大佐は、「テディガール」を介して、
シンシアと話をするなど、
娘と楽しい時間を共有できたのでした。

こうして、「テディガール」は、
シンシアの遊び友達になったのです。

実は「テディガール」と名付けたのも、
シンシアで、それまでは、
大佐も、兄も「テディボーイ」と呼んでいたのだとか。

残念ながら、シンシアは、
若くして亡くなられたそうですが、

「テディガール」は、
そんなシンシアとの楽しい日々を、
思い起こさせる存在だったのでしょうね。

こうして、テディベアと過ごしていくうちに、
大佐は、テディベアの持つ温かさや、
不思議な魅力に惹かれていき、
テディベアに何か大きな力があると確信。

軍隊を引退した後、テディベアを親善大使とし、
心の支えを必要としている人たちに、
テディベアを配るという、チャリティー活動に、
没頭するようになったのでした。

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オークションに出品される

その後、1990年、
大佐は、86歳の生涯を閉じたのですが、

「テディガール」は、オーストラリアに住む彼の、
たった1人のお孫さんの手に渡ったようです。

(大佐は奥さんとひとり娘に早くに先立たれています)

お孫さんは、大佐の膨大なテディベアの、
保管スペースなどに困り、

大佐が亡くなられて4年後に、
ベア達をオークションに出品されたのだそうです。

そして、1994年、
イギリス、クリスティーズのオークションにおいて、
「テディガール」は、£110,000(US$171,600)、
日本円で約18,000,000円という、
当時のテディベア史上、最高価格で落札されました。
(この記録は、2000年、ルイ・ヴィトンベアによって塗り替えられています)

競り落としたのは、ぬいぐるみメーカー「サンアロー」の、
代表取締役、関口芳弘氏で、

世界中からの注目を集めた、「テディガール」は、
現在、「伊豆テディベア・ミュージアム」で、
静かに暮らしています。

「伊豆テディベア・ミュージアム」にて