ミスターウォピットとは?
このベアは、1953年、
漫画「ロビン」の創刊号に掲載された、
「ウッピット物語」に登場した、
テディベア、ウッピット(Woppit)で、
1956年、
イギリスのテディべアメーカー、メリーソート社が、
赤いフェルトのジャケットを着た、
22センチのウッピットを作りました。
そのうちのひとつは、モーターボートのレーサーであった、
ドナルド・キャンベルのマスコットとなり、
「ミスターウォピット」(Mr.Whoppit)と名付けられると、
キャンベルのボートである「ブルーバード」の刺繍が、
このベアのジャケットに縫い付けられたのでした。
ミスターウォピットとキャンベル氏
キャンベルは、ボートを操縦する時、
必ず「ミスターウォピット」を同乗させ、
奥さんは、操縦席に入るキャンベルに、
「ミスターウォピット」を手渡すことが、
仕事の一つになっていたそうです。
それでは、ここで、
「ミスターウォピット」とキャンベルの、
悲しい物語を紹介しましょう。
陸上と水上のスピード記録保持者
キャンベルは、1950年代~1960年代、
自動車とモーターボートレーサーとして活躍し、
1964年、水上最速記録、時速444.7キロという、
世界新記録を樹立します。
そして、さらに、自己の記録を突破するべく、
1967年、新たに改良を加えた「Bluebird K」で、
新記録に挑むことに。
コニストン湖で、2回走行するのですが、
最初の走行で時速297マイル(475.2キロ)に到達。
そして、2回目(復路)、320マイル(512キロ)を超えるスピードで走行中、
「Bluebird K」は、水面から浮き上がり、
飛び上がると、空中で宙返りした後、
船首から水中に突っ込み、その衝撃で「Bluebird K」はバラバラに・・・。
キャンベルは即死し、遺体は、コニストン湖の底深く沈んでいくのですが、
「ミスターウォピット」は、
水面に浮かび上がったのでした。
その後、水中での捜索が行われたのですが、
キャンベルの遺体は見つかりませんでした。
娘とともに
月日は流れ、
キャンベルの娘、ジーナもまた、
モーターボートの選手となり、
1984年、父親の形見である「ミスターウォピット」を、
お守りに、新記録へと挑んでいます。
そして、2001年、ようやく、
湖底から「Bluebird K」の残骸が発見され、
その近くで、キャンベルの遺体が見つかったのでした。
ジーナとともに
レプリカの製造
小さなテディベアが見つめた悲劇に、
心が痛くなりますが、
「ミスターウォピット」は、1992年、
メリーソート社によって、5000体の
レプリカが製造されています。
もちろん、赤いジャケットには、
ブルーバードの刺繍があり、
キャンベルを称えているのでした。
現在のミスターウォピットとジーナ